府中市民交響楽団第77回定期演奏会
市民オケとしてはなかなかの腕前の
府中市民交響楽団
毎年2回の定期演奏会を楽しみに聴きに行くのだが
今回の演目「春愁のブラ-ムス」
いつも寄る中華屋さんの窓にポスター発見
演目は
・悲劇的序曲作品81 ブラ-ムス
指揮者は田部井剛氏、このオケにもっとも合っていると思われる指揮者だ
ブラ-ムス
以下ウィキペディアから引用
ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms、1833年5月7日 - 1897年4月3日)は、19世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。J.S.バッハ(Bach)、ベートーヴェン(Beethoven)と共に、ドイツ音楽における三大Bとも称される。ハンブルクに生まれ、ウィーンに没する。作風はおおむねロマン派音楽に属するが、古典主義的な形式美を尊重する傾向も強い。
以上引用
最初の小品「悲劇的序曲作品81」は導入部が肝心
ティンパニーがそれを払拭してくれた
なかなか見事なできばえである
二曲目はRシュトラウス
交響詩「死と変容」作品24
難解な作品だった、できばえはときかれれば、アマチュアとしては拍手だが
なんとも間延びのしたシュトラウスに聞こえた
17年前の楽団のリベンジは果たせたのか
17年前を知らないのでなんとも言えないが
休息を鋏んで
交響曲第3番へ長調作品90
今回の「春愁のブラ-ムス」である
以下ウィキペディアから引用
1877年に第2交響曲を作曲したブラームスは、その翌年からヴァイオリン協奏曲(1878年)、『大学祝典序曲』及び『悲劇的序曲』(1880年)、ピアノ協奏曲第2番(1881年)といった管弦楽作品を発表する。
第2交響曲から6年後の1883年5月、ブラームスは温泉地として知られるヴィースバーデンに滞在し、第3交響曲をこの地で作曲した。
(中略)
1883年12月2日、ハンス・リヒターの指揮により、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で初演された。結果は大成功で、ブラームスは再三カーテンコールを受けた。
以上引用
この曲、よく知られた曲なので、逆になかなか難しい
曲全体としては37分と短いのだが
チェロの見せ場はOK
金管は少し弱い
おお、でも、ブラ-ムスの世界に引き込まれていく
第3楽章 ポコ・アレグレットの旋律はいろんなところで使われている
腕達者なストリングスの響きにのりながら
僕は
ジェ-ンバ-キンが歌った「バビロンの妖精」を口ずさんでいた
終わってみれば、万雷の拍手、今日は変なブラボーおじさんはいなかった
「定期演奏会ではアンコ-ル曲はしないのですが」と田部井氏が用意したのは
ヨハンシュトラウスの「アンネポルカ」
これは演奏会の曲選定が重かったので、明るい曲を、といっていたが、3番の初演がウィーン・フィルハーモニー管弦楽団だったことに当然かけられていた。
なかなか良い演奏会だった
それは
帰途につくひとたちの足取りをみればわかる
残念なのは観客の入りが6-7割程度だったこと
ああ、もったいない