生前退位
- 天皇の退位について、「天皇のロザリオ」に
- 書かれていた箇所があったので
そこから、肝心な点を書き留めておこう...
戦後新しい「皇室典範」が貴族院に上程されたのは1946年の暮れ
そして12月中に成立となる
- じつはここで「天皇の退位の条項」をめぐる論議がなされている
質疑にたったのは南原繁東大総長
答弁にたったのは吉田茂の腰巾着文部相、田中耕太郎(こいつはのちに最高裁長官になり砂川事件で米国によりそい、日本国憲法を壊した男) - 南原氏の主張は
道義的観点と人間天皇の自由という観点から、天皇の退位を説き、それに備えるため、退位条項を設けるべきだ、と主張した - 田中文部相は
「退位と譲位」規定をいれるのに反対した
回答が回答になってない
それは裕仁氏の意思が強く働いたためと推察される - しかし現代史家達は、皇室典範の改定について詳しく述べることをしない
そしてそれは
70年たった現在もである
マスコミがマスゴミといわれ、我が国にジャ-ナリズムがないといわれる由縁でもある