6月は太宰の季節
生まれた時も亡くなった時も6月
遺体が発見されたのは6月19日である
当時の流行作家の自殺死はとてもスキャンダラスなものであった
そしてそのことがこの偉大な習作家の作品評価を長い間決めつけていた
つまり
作家=作品の登場人物
というあれである
しかし太宰ほど、虚実皮膜
物語作りに腐心した作家はいない
死後66年立って全集を読み返せば
彼の意図はよくわかる
ルポライタ-の鎌田氏の意図は彼の出自が作品に影響を与えたのではないかと
いうものだが、出自がどうへんかして、作品に影響をあたえなかったか
という研究の方が貴重なのだが
彼が習作家から偉大な習作家になったのは
1939年(昭和14年)石原美知子と結婚して三鷹に住んでからである
やっとプロの作家としての一歩を踏み出したのが
ここから亡くなる昭和23年までの9年間が素晴らしいのだ
彼の作品で素晴らしい作品を挙げろといわれたら
迷いながら
「津軽」をあげる
「斜陽」も「ヴィヨンの妻」も素晴らしいのだが
この本のすばらしさは
「虚実皮膜」一人称で書かれていながら
文体は小説のそれになっていることである
小山書店の依頼で新釈諸国記の1つとしてかかれていながら
太宰は津島修治の津軽を客体として描く事に成功している
資料を集め、ルポ化したというアドバンテ-ジはあるにしても
永遠に語り継がれる作品になっている
作家=作中のわたし、という関係性見事に昇華させている
70年も昔の作品だがご一読されたし