もやしとドリアン/敗戦の日に
生きていれば今年99歳になる
彼は旧制中学をでて町工場に勤めていたときに再招集にかり出されている
もう30をとっくに過ぎた、当時でいえば完全なロ-トル
部隊はビルマに派遣になる
生存者の少ない戦線であった
なにより戦闘以前の餓死・病気で戦友はバタバタと亡くなった地で或る
敗戦から3年がたち
かれは帰郷した
とっくに戦死したと思われていたのに
祖母は骸骨のような息子を抱きしめたそうである
僕は父親から戦争の話は聞かなかった
小学5年生の時、作文の宿題で
戦争体験というのがあった
いまにしておもえば凄い宿題だったのだ
戦後と言ってもまだ17年しかたっていない
戦病兵が未だ町で物乞いをしている時代だった
父親はぽつりぽつりと話し始めてくれた
食べ物の話からだ
一番旨いと思ったのはドリアン
もう食べたくないのはモヤシ
それこそ毎日もやしが続いたそうだ
なくなるまでモヤシを食べた父親を見たことは無い
通信兵として参戦したが食糧難は他の兵隊とおなじ
蛇とかネズミはごちそうだったという
かれは日の丸・君が代が嫌いだった
あの旗のしたに、万歳突撃した部隊がどれだけいたか
君が代の美名のため、亡くなった兵隊がどれほどいたか
身にしみて、知っていた
昭和天皇がなんの責任もとらずにいることに憤りを感じていた
膵臓癌で30年前になくなるのだが
抗がん剤が効いているとき
なにが食べたいか母親が聞いた
「ドリアン」といった
僕は銀座まででかけ
果物屋の店先で1万円するドリアンとにらめっこした
お金はあるのだが
末期の癌で有ることを知らせていない
当時のドリアンが高価な果物だと知っている、わざわざ買って帰ったら
死の宣告をしたに等しい
結局かってかえらなかった
亡くなる3日前、まだ意識がはっきりしていたときぼくにいった
悪い平和、良い戦争、なんてない
と