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コンサルの独り言

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マ-ケテイング・コンサルタントの独白です。

原爆の秘密「国外編」

1945年8月6日、広島に原子爆弾が落とされた

なぜ落とされたのか

まさか「戦争を終わらせるため」という大嘘を信じている人はいまい

大嘘を宣伝しているやからは多々いるが

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原発を開発するには、原子炉がいる、ウラン235を239にするため

もうひとつはプルトニウムを作るため

前者がウランタイプの原爆、リトルボ-イになり、広島に落とされ

後者がプルトニウム原爆、ファットマンになって、長崎に落とされた


アメリカの原子爆弾製造計画

「マンハッタン・プロジェクト」はグロ-ブ将軍の総指揮のもと、1942年初夏から始まる、そのとしの9月グロ-ブスの副官ニコルズ大佐は、ウォ-ル街のエドガ-・リンジャ-のオフィスに、ウラン資源確保の相談にいく、リンジャ-は湾内のスタテン島に1200tあることをいう。

マンハッタン計画というのは、ベルギー領コンゴにある、ウラン鉱山をアメリカに売りつけるため、ロスチャイルドとモルガンがリンジャ-を使った計画なのである


原爆産業というものが、1939年に創成され1942年にその形を確立した瞬間であった、そしてこのことは米国の将来を運命づけることとなる。つまり拡大と破滅の道へところがり始めたのである


1941年10月11日、ル-ズベルトとチャ-チルの間で、原発開発協定が結ばれる

そしてロスチャイルドの意向で、製造は米国でなされることになる

この二人の共通点は、莫大な借金をロスチャイルドの一味に清算してもらったことと、隠れユダヤ人であることを我々は認識しなくてはならない

1942年につくられた「勝利の計画」によると1943年には第二次世界大戦は終わるよていだったが、マウントバッテンが工作して、廃棄させ、戦線を北アフリカに拡大させ、わざと引き延ばしたのである


広島に落とされた、ウラン爆弾リトルボ-イはロックフェラー&メロン

長崎におとされた、プルトニュウム爆弾ファットボ-イはモルガン&デュポンが作った

ウラン爆弾は早い時期に出来ていたが、プルトニュウム爆弾は完成が遅れていた、だからこの間いろんな働きかけが日本にたいしてなされた


天皇制を保証しないという問いかけで、日本がプルとニュウム爆弾完成前に、白旗を揚げないよう、時期を調整してきたのである

国際金融機関の意志でこの実験を推進し、実現させたのはスティムソン陸軍長官であった

この原爆実験のため、最終段階で、ル-ズベルトは排除されることとなる


彼はこの残酷な実験にGOをだせなかった

なぜかというと、海軍のトップ、キング提督とフォレスタル海軍長官が原爆投下阻止に動いたからである、無条件降伏を日本との交渉条件から外すことをル-ズベルトに進言し、ル-ズベルトはおそらくその書類にサインしたため、スティムソン陸軍長官一派に1945年4月12日殺されたと考えられる、ヤルタ会談以来体調を崩してはいたが回復の兆しはあったのに、若い愛人の前で突然死したのである。


代わりに、副大統領トル-マンが、大統領となり、実験を実施することとなる

トル-マンという男はベンダーガスト機関(やくざもののあつまり)がなかったら上院議員にも副大統領にもなれなかった男であることを知らなくてはならない


そして日本での実験については、昭和天皇は知っていて、協力している

間だをつないだのは、吉田茂・貞明皇太后を中心とするヨハンセングル-プ

とくに白州次郎が動いている

かれは戦時中鶴川で、国際金融資本と交信をつづけ、阿片貿易にも活躍している、カントリージェントルマンなどとはとんでもない、ウォ-バ-グ一族である、多額の資金援助を若い頃から受けている。

ウォ-バ-グは元々ドイツハンブルグに本店が有り、ヒットラ-も資金援助し育てあげ

イギリスではロスチャイルドとくっつき、米国ではシフ家(日露戦争の日本戦時国債を引き受けた)と結ばれている。


そこを情報源とし、昭和天皇は、我が身の保身と天皇制の維持を確約してもらい悪魔の実験に合意する。だからポツダム宣言に即合意できなかったのだ。


8月10日、昭和天皇は終戦工作にはいる、国民を犠牲にして生き延びる

日本人はこの事実を認識しなくてはならない


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by kongojiamarron | 2017-09-16 07:16 | 国際情勢 | Comments(0)