ブログトップ

コンサルの独り言

kongojia.exblog.jp

マ-ケテイング・コンサルタントの独白です。

「大西郷という虚像」

明治維新の過ち、第三弾は「大西郷という虚像」
d0202960_834513.jpg

結論から言おう
突っ込みが足りない
肝心なところを避けて書いてしまったため

西郷の本質も捉えきれなかった

本質は、明治天皇は、孝明天皇の息子、睦仁ではないということである
そして
その玉ころがしの中心が、明治政府の出発だったという事だ

西郷がなぜ、薩摩の主導権をにぎれたのか
それは誠忠組、である、他藩との人脈が大事だったのである
この組織はスパイ組織である、幕末各藩のもっとも大事だったのは
情報戦だった、いまとちがって、ネットはないから、人伝えの情報戦ということになる
そのために各藩とも下士以下の郷士たちを活用した
必要に応じて脱藩させたのは、藩に責任がこないためである

そして、フルベッキ、とグラバーのところで、西郷は大室寅之佑とつながる
勝海舟ともつながるのだ
勝海舟と言うペテン師ともつながったことで
西郷は明治維新政府の中心となった

もう一つ言うと西郷は南朝の菊池氏の系譜である

しかし、えげつない男でもある、赤報隊というテロリストを作り
ながら、必要なくなると、相楽を切り捨てた

さて明治六年の政変は「征韓論」の大嘘で塗り固められている
本質は閣議決定された、朝鮮派兵の上奏を、大室寅之佑が覆した
当然参議は全員が辞表をだす
ここから大久保利通の寝技なのだ
つまり選別した、受理したものと、受理しないものに分けたのである

西郷、板垣、江藤、副島の辞表は受理し
木戸、大隈、大木、大久保の辞表は却下したのだ

大室寅之佑が明治天皇だと知っている、人間がばらす、といったため、抹殺されたのが
佐賀の乱の江藤、と西南の役の西郷、ということになる
墓場までもっていくと約束できれば抹殺は逃れただろうに

西南の役に関しては
いくつかの興味ある書付がのこっている
それによると
西郷は主導者ではなく、つねに二十名の護衛に禁足されていたという
つまりこの陸軍大将はシンボルとしての役割しかなくなっていた
しかも精神的に病んでいたと思われる

西南の役の際、明治天皇は薩摩を恐れていた
明治維新というのは萩藩田布施の部落民が、薩摩の武力と、ジャ-ディン・マッセソンの力で天下をとった話なのだから

明治31年十二月、上野公園で西郷銅像の除幕式が行われた
極悪人内閣総理大臣山形有朋
英国公使ア-ネストサトウ
も参列していた
なぜ国賊として討った男を復権させたのか

それはこののち伊藤博文が暗殺される明治末期に向けた準備だったと考えられる
大室寅之佑は南朝の子孫であるということを
晩年はいろいろやっている
南朝神社十五社の設置、南朝正当論、楠正成の銅像
その一連のながれに、南朝忠臣、菊池氏の末裔、西郷がいたのは間違いない

わけがわからないうちに虚像にまつりあげられた西郷
吉田松陰とおなじである
横井小楠とも

というわけでこの本は、肝心かなめのところに触れていない
というより第一弾で、そうとう圧力があったとかいてあるから
そこがすっぽり、と抜け落ちてしまったとおもわれる
だから表紙と中身があわなくなったのだ
[PR]
by kongojiamarron | 2016-06-26 08:35 | 国際情勢 | Comments(0)