巨星おつ、ヨハンクライフ
クライフタ-ンというのがある
相手ディフェンダ-を背にして、ボ-ルを引きながら
体を入れ替える
サイドアタックにはとても効果的なのだが
これを効果的に行うには足の長さと、早さが必要だった
ヨハンはそれがとても美しくできた
しかしもう見ることはできない
なぜなら三月二十四日に亡くなったのだから
六十八だったクライフは、オランダのアムステルダムに生まれた
母親がアヤックスで働いていたので、幼いクライフの遊び場は当然アヤックスだった
そして、アヤックスでプロになる
アヤックスといえば
リヌス・ミケルス監督、ト-タルフットボ-ルを作り上げた人だ
そして具現化したのが
クライフなのだ
フィ-ルドの10人が全員攻撃し、全員守備するという
バスケットボ-ルの様な戦術だった
しかし指揮者が必要だったことは1974年以降にわかることとなる
アヤックスは欧州で三連覇する
1973年の相手はバイエルンミュウヘン
出場選手は西ドイツ代表とオランダ代表がほとんどだった
この結果をみれば翌年のW杯への期待はいやがおうでも上がった
1974年のW杯西ドイツ大会は、決勝で西ドイツに負けた
最初の一点だけで、クライフがフォクツに押さえられてしまったためだ
しかし、大学生だった僕はオランダに衝撃を受け、未来をみた
四年後はアルゼンチン大会だった、クライフは予選にはでたが本選には参加しなかった
決勝戦はメノッテイのアルゼンチン
オランダは天が味方せず破れた
しかし1970年代の最強チ-ムはオランダであったことは間違いない
クライフは多額の移籍金でバルセロナに移り
その後米国に渡るのだが
特筆すべきはスペインの近代サツカ-を作ったのは彼であるという事だ
身長は公称176cm
当時のオランダのフィ-ルドプレイヤ-は全員180cmを越えていた、
線は細いが体幹がしっかりしているので、しなやかな鞭の様な体つきだった
背番号はこのころは登録制になっていたので
14番をつけていた
選手としての才能はピカイチなのは間違いないが
それよりも
近代サッカ-を作り替えた人として
長く語り継がれる人だろう
偉大なフットボ-ラ-の魂に合掌