国立競技場の思いで
国立霞ヶ丘競技場は僕の思い出の競技場だった
へんなオイスタ-に生まれ変わらなくて良かった
もとのデザインで
耐震性を補強し再生するのが一番いい
そうすればおそらく500億円程度で再生できる
僕がこの競技場に出会い
通い始めたのは高校生のころ
田舎のサッカ-部員は日本リ-グを観に行ったのだ
当時の日本リ-グは企業お抱えのチ-ムだったから
観客は500-1000人程度、ほとんどが関係者
がらんとしたスタンド
三列前に日本代表だった荒井くんが座っていたなんて事もあった
杉山釜本の加入で、試合によっては4万人入る事もあった
三菱-ヤンマ-の試合はアマチュアなのにすごかった
入場料は500円だった
海外から名門が親善試合で物見遊山にちらほらくるようになった
トットナムホットスパ-
ロシア中央陸軍(チェスカモスクワだ)
ボルシアメ-ヘングラハ-ドバッハ
ベンフィカリスボン
バイエルンミュウヘン
親善試合は外国倶楽部がオフに若手を試すばだった
マ-チンチバ-スみたいに礼儀知らずは別として
普通は1-2点差で勝つのだった
ネッツア
ベッケンバウア-
エウゼビオ
ペレ
きらめくスタ-を目の前で見られた
そして天皇杯だ
いまでこそ準決勝は東西でしているが
当時は12月30日
国立で2試合おこなった
とてもお得なのだ
13時からの壱試合目はいいが弐試合目の後半は寒くなる
バックスタンド側か、電光掲示板の下に陣取った
学生のうちは、カップヌ-ドルをすすり
社会人になってからはワンカップとポケットウィスキ-
子供が小学生になったとき
サッカ-の試合をみせにいった
楽しんでいるのは父親ばかりという情況
そうそう30歳前後の二年間この競技場のスポ-ツ倶楽部にも通った
ランニングとマシンが中心だったが
夜の国立競技場を満喫した
週一回のお楽しみ
ピッチにも立った
文科省とJCSというたわけが、文化を勝手に壊してはならない