明るくてまだ冷たくて流し雛/澄雄
七段飾りのひな人形が庶民にひろがったのは
比較的あたらしく
関東大震災以降
デパ-トで扱いし初めてからだという
元々は
紙で作った人形
病や災いを祓う
お祭りが終わるとそのまま藁でつくった舟に乗せ
川に流した
公家の正装になったのは元禄時代だといわれている
男雛女雛の並び方も
明治時代までは向かって右が男雛
左が女雛だったが
大正天皇の時代に逆になった
西洋式の並び方になったという
あかあかと天地の間の雛納 魚目
祓え人形は豪華な人形となり、ひな祭りの後は箱に収められしまわれることになる
そしてその怨念は封印されるのだ
いつの間にか女の子の祭りの代表になったひな祭りの雛人形
最近では7段飾りもむずかしくなり
一対の雛人形を飾るというのが流行っている
従者なき灯火の前の雛人形 自作